石黒コレクション保存会会長、石黒敬章氏が
館長を務める古写真サイトです
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7.オフィス街今昔物語「汐留シオサイト」
6.ピース・サインはご法度!? 幕末・明治の肖像写真にまつわる迷信
5.明治版「彼女が水着にきがえたら」近代日本のビーチを彩った海水着美人たち
4.明治浅草のシンボルタワー「凌雲閣」に見る元祖レトロ看板
3.いまは再開発に沸く新橋停車場と旧 汐留
2.マニアな楽しみ。桜より写真絵葉書の歴史に注目!
1.これが最初の「ハイ、チーズ」!? ”笑顔”が可愛い明治女性
汐留は江戸時代初期の埋立地である。播磨竜野藩・陸奥仙台藩・陸奥会津藩の屋敷が置かれていた。明治になると新橋停車場が建設されることになった。明治5年(1872)9月12日に開通式が行われた。以後42年間にわたって東京の表玄関となった。大正3年(1914)12月18日に東京駅が開業し、同年12月20日に烏森駅が新橋駅と名を変えると、新橋停車場は貨物用の汐留駅になる。昭和61年、汐留駅は廃止され、国鉄再建ために平成4年再開発計画が決定された。いまこの地は「汐留シオサイト」と呼ばれる。高層のオフィスビルが次々と建築され、東京の新しい顔となっている。
【写真1】は明治37年(1904)に築地の海軍大学校上空に揚げた気球から撮影した新橋停車場の鳥瞰写真である。日本初の航空写真と思われる。ライト兄弟の人類初飛行が明治35年12月17日のことであり、飛行機はまだ日本になかった。上空から写真を撮るには気球を用いる外なかったのである。
扇形に線路が広がる新橋停車場の様子がよく分かる写真である。右手の広場の左手に2棟並んで建つ洋風建築が新橋駅舎である。右上から左手前にカギ型に流れる川は汐留川(新橋川)で、架かる橋は左下から汐先橋・汐留川荷物道路橋(後の汐留橋)・蓬莱橋・新橋・難波橋・土橋・幸橋となる。写真中央には左右に高架鉄道が建設中である。左上の緑の丘陵が愛宕山であり、愛宕塔が見える。
共同通信社が新橋停車場跡地に本社ビルを建設するので(平成15年7月竣工)、そのロビーにこの写真(同時に写した左右3枚の映像と共に)を展示する依頼を受けた。比較のため現在の写真も並べて展示しようと、ヘリコプターで空撮をすることになった。
【写真1】新橋停車場から愛宕山・赤坂方面を望む。
日本では珍しいターミナル駅だった。明治37年海軍技師の市岡太次郎の撮影。
【写真2】は風が強く空気の澄んだ同年1月5日の朝、共同通信社の新藤健一カメラマンが、【写真1】とほぼ同じ位置から撮影したものである。筆者も同乗したのだが、景観が全く変わってしまった東京の上空で、明治期の写真と同じ撮影場所にヘリを導いて撮影をすることは、思ったより難しいことを実感したのだった。何処を飛んでいるのか瞬時に判断できないのである。
【写真2】平成15年1月現在の汐留シオサイト。空に伸びるオフィス街。景観が一気に大変化を遂げた場所である。
写真手前に汐留シオサイトが広がるが、一番右手のビルが松下電工東京本社(背後に見えないが旧新橋駅舎が復元されている)。その左の銀色の大きなビルが電通本社。そのまた左の黄色のビルが鹿島棟で、後ろが日本テレビ本社棟。左に少し離れてスマートな共同通信社ビルがある。右手を上下に流れていた汐留川は埋め立てられた。外堀通り(黒く写っている)の右に低いビルが並んでいるが、そこが汐留川の跡である。左上に六本木ヒルズが見え、右上部には新宿の高層ビル群が望める。
読者の皆様がこの2枚の写真を見比べ、約100年の変遷を楽しんでいただければと思うのである。より細部までご覧になりたい方は、ぜひとも共同通信社ロビーまで足をお運び願いたい。